めるま

私が副業マーケターを始めるまでの過程

めるま

初めまして!めるまです。

副業マーケターとして情報発信をしています。

私はもともと、副業ともマーケティングとも無縁の生活を送っていました。

それが、なぜ副業マーケターを名乗る様になったのか。それをここでお話しします。

 

私はもともと、大手✖️技術=安泰という神話を信じ、新卒で大手メーカーに研究職として就職しました。

その会社の業績は安定した右肩上がりで、創業依頼一度も社員をクビにしたこともなく、景気に左右されることもなく、残業代も出る、いわゆる有料企業でした。

同期も、東大や海外の有名大学から来た人もいて、諸先輩方含め、優秀な方が多かったと思います。

良い人も多かったので、特に不満はありませんでした。

1年目が終わった時、100万円の貯金ができていました。

2年目からは、夏のボーナスが加算されたこともあり、貯金は300万円になりました。

 

特に不安を抱えることもなく、安定した日々が遅れている。

そんな感覚でした。

 

しかし、3年目のある日、人生のライフプランを作ってみたときのことです。

これくらいで結婚して、これくらいで家を買って、これくらいで子供ができて。

そんなことを考えながら、死ぬまでのことを考えてみました。

 

自分が望んだ、何不自由ない生活。

それが頭の中で思い描けた時、ふと、私の中に次の言葉が現れました。

「あ、俺の人生終わった」

 

人生が終わったとは、悪い意味ではありません。

単純に一つの人生が終わったという意味です。

そして、ここからが大事なのですが、私は、頭の中で描いた人生に、全くワクワクできていませんでした。

もちろん、世の中のことがわからない若造が、頭の中に描いた妄想ですから、その通りになるわけがありません。

しかし、私は、自分でワクワクできない人生に向かって走っていくことに、どうしてもテンションを上げることができませんでした。

「俺は、なんのために生きてるんだろう」

贅沢な話なのは重々承知していますが、それでも、毎日の通勤電車で、そんなことを考えるようになっていました。

 

そしてそこから、本を読み漁ったり、いろんな人の話を積極的に聞くようになったのですが、その結果、私が求めた安定さえも、会社に求めることが危険だと感じ始めました。

「本当の安定は、会社はなく自分の力にある」

そう思うようになったのです。

そして、「ビジネスのことが全くわからない状態で、本当に俺は大丈夫なのか?」

と、疑いを持つようになりました。

 

もちろん、研究にのめり込む道もあったと思います。

しかし、これまでそれなりに勉強してきて、技術も身に付けたにも関わらず、それほどの恩恵があるようにも思えなかった私は、ビジネスの勉強をすべく、優良企業を退職しました。

 

そして、社員数名のベンチャー企業に営業職として転職。

ここからは大変でした。

慣れないこと、苦手なことにあえてチャレンジしていましたが、誰が教えられるわけでもないので、とにかく足を動かし、読書をし、始発から終電まで働き続ける毎日。

最初の半年は成果が出ず、よく怒鳴られていました。

その後、成果が出せるようになってから、いろいろ考えて転職。

キャバクラのボーイとして少しの間働いた後、マーケティング会社にマーケターとして就職。

大手から中小まで、様々な企業様のマーケティングに関わらせていただきました。

 

その中で、ある日、ふと思いました。

「企業のマーケティングをやっているのに、自分のマーケティングできなかったらおかしくね?」

ということで、マーケティングの実験場として、副業を始めました。

これが、副業マーケターの始まりです。

 

やってみると、意外と性に合っていて、様々な手法を試すことを楽しむ毎日。

気づけば、初めて3ヶ月経った頃、副業の月収が10万円を超えました。

 

「きっと、私と同じように、副業で稼ぎたいと思っている人はたくさんいる。この知見は、その人たちの役に立つ」

そう思った私は、私が実践で得た知識や経験を、記事として発進することにしました。

これが、私が副業マーケターとして情報を発進している理由です。

 

エンジニアであれば、副収入10万円は、難しくないかもしれません。

実際に、エンジニアを対象にしたマッチングサービスがたくさんあるからです。

でも、「自分には副業にできるようなスキルはない」と思って諦めている人もたくさん見てきました。

私は、そういう人たちの力になりたいと思っています。

 

是非、私の記事を読んで、副業で稼いでいただけたら嬉しいです!

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